本当のストレスフリーを仏教に学ぼう!目指すは菩薩系美人


 

本当のストレスフリーを仏教に学ぼう!目指すは菩薩系美人

(c)草場一壽 今心工房

ストレスは、美容と健康の大敵です。

 

ストレスを溜めることで引き起こされる症状は、

肌荒れ、肩こり、頭痛、冷え性、血行不良、便秘、胃もたれ、下痢、

不眠、過食、拒食、無気力、倦怠感、高血圧、不整脈、脱毛症、

じんましん、口内炎、歯槽膿漏、生理不順・・・と、本当に限りがありません。

 

つまり、どんなに美容と健康のために努力をしていても、

ストレスとの付き合い方を改善しなければ、

すべてが台無しになってしまうかもしれない、ということなんです。

 

とはいえ、私たちの日常生活は、

押し寄せるストレスの波間にもがいて汲々とするばかりではないか、

と感じている方も少なくはないでしょうし、

もはや、こんな話を聞かされること自体がストレスでしかない、

なんて方もいらっしゃるかも知れません。

 

だから、ストレス解消のために

ビタミンB1、ビタミンC,カルシウム、タンパク質を多く摂る食事をしましょう。

「セロトニン」を増やすために「トリプトファン」が多く含まれる食材を食べましょう。

アロマで心を癒しましょう。

リラクゼーションミュージックを聴きましょう。

思いっきり騒ぎましょう。

思いっきり笑いましょう。

思いっきり泣きましょう。

思いっきり運動しましょう。

 

という解決の仕方は、本当に正しいことなのでしょうか?

 

巷に溢れるストレス解消法は、

「ストレス」という刺激から目をそむけるために、

「より強い別の刺激」を追い求めているだけであったり、

ストレス解消法という「情報」を次々と追いかけさせて、

解決できた気分にさせているだけではないでしょうか?

 

本当にストレスから解放された状態というのは、

抱えてしまったストレスを無かったことにすることではなく、

そもそも最初からストレスを抱えないで済むことです。

 

でも、そんなことがどのようにして可能なのか? というと、

その答えは仏教の教えにあります。

 

 

ストレスフリーのキーワードは「自由」

 

そもそも、人はなぜストレスを感じてしまうのでしょうか。

 

疲れているのに休む時間がなかったり、

頑張っているのに理解されなかったり、

相手が自分を尊重してくれなかったり、

いろいろと任されすぎてプレッシャーだったり、

その要因にはさまざまなものがあるわけですが、

どの場合にも共通しているのは、

「思うがままにならない」ときにストレスを感じている点です。

 

以上のようにまとめると、

なるほど、「思うがままにならない」ことがストレスの原因なのか、

と思ってしまいがちなのですが、仏教での考え方は違います。

 

仏教では、まず第一段階として、

「思うがままを通したい」という煩悩に縛られていることが

ストレスの原因であると考えます。

 

つまり、思い通りになるはずだという勘違いや、

思い通りになって欲しいという願望のせいで、

不自由な気がしてしまっているだけだということです。

 

いやいや、そんな観念的な話をされても、

実際にいろいろ困ったことが起きているのは事実だし・・・、

と、反論したくなっていると思いますが、

もう少しだけ説明を続けさせてください。

 

「不自由な気がしてしまっているだけ」という説明の意味を掴むために、

水が100℃に達すると蒸発して気体になるという現象や、

1+1が2になるという法則があることで、

あなたが不自由を感じたり、

ストレスを抱えるかどうかを、ゆっくり考えてみてください。

 

「いや、それはそうなるべきことだから、何も思わないよ」

と、あなたが感じるのであれば、

「どのような不本意な出来事であっても、なるべくしてそうなっただけ」

と、受け止めることが可能であるということを、

あなたはすでにイメージできているはずなのです。

 

「それとこれとは話が違うんじゃない?」という声が聞こえてきそうですが、

さらにイメージしてみてください。

 

小学生のころのあなたが、理科や算数の授業で初めて、

水が100℃で蒸発することや、1+1が2になることを教えられたとき、

「なんでそう言い切れるのかがよく解らない」

「110℃で蒸発する水があるかもしれないし、1+1が3でもいいじゃないか」

というふうに思って、ありのまま受け入れることに抵抗を感じ、

ストレスを抱いていたかも知れません。

 

それなのに今は、

「いや、それはそうなるべきことだから、何も思わないよ」

と、感じていたというのであれば、

「どんなことも、感じ方次第でストレスになることがあるし、

ストレスにならないことがある」

ということを実際に体験として知っているわけなのです。

 

この「感じ方次第」ということを踏まえて、

さらにもう一段階、仏教の考え方を進めると、

「思うがままにならないことがあったらストレスを感じるというのは、

たんなる習慣でしかないので、変えることができる」

という答えが導き出されます。

 

これはどういうことかというと、

お風呂で決まったところから身体を洗い始めたり、

ちょっと手持ち無沙汰になると携帯電話を見てしまったり、

ご飯を食べるとき机に肘をついてしまったりするのと同じように、

そうしないといけない必然性はないけど癖になっているだけだ、

という考え方を、ストレスに関してもしているわけです。

 

ですので、思うがままにならないことがあったらストレスを感じる、

という癖を自分が持っていることを意識して、

「どのような不本意な出来事であっても、なるべくしてそうなっただけ」と、

個人的な利害や思惑を離れて中立的に捉える練習を繰り返せば、

何が起きようと、それをストレスと感じない自由を手に入れられる

というわけです。

 

仏教でいう「自由」は、まさにそのような意味で、

「なんでも思い通りにできる」ことではなく、

「みずからにもとづく」状態のこと、

「心がなにものにも縛られていない」ことを指しています。

 

 

「自由」になるためのトレーニング

 

何が起きようと、それをストレスと感じない自由を手に入れよう、

と、一言でまとめてしまいましたが、

思うがままにならないことをストレスと感じてしまう習慣を変えるのは

簡単なことではありません。

 

また、具体的には何をしたらそんな自由を手に入れられるのか、

よく解らないというのが当たり前の感想だと思います。

 

スポーツのトレーニングのようなものと喩えてみると、

イメージしやすいかもしれません。

 

地道なトレーニングを積み重ねているからこそ、

ここぞという大事な場面で焦ることなく冷静に、

またこれまでのプレイの癖に縛られることなく、

最良のパフォーマンスをすることが可能になるということは、

なんとなくイメージできないでしょうか?

 

それと同じように、

ストレスを感じてしまうという自分の癖を分析して、

思うがままにならない出来事が起こったことを

どうやっても変えることができないこととして受け入れながら、

その出来事をストレスに感じないことは可能であるというふうに、

「自由」になるトレーニングを日々地道に積み重ねていけばよいのです。

 

また、スポーツのトレーニングに喩えたのは、

ありのままを受け入れるといっても、

無感情に現状を追認すればよいと勧めているわけではないこと、

より良い結果にしたいと努力することや、

思うがままにならない出来事があったことを反省することを

否定するわけではないことを伝えたいからでもあります。

 

再びスポーツに喩えるならば、

試合中にしてしまったミスを引きずって冷静な判断ができなくなったり、

もう無理だと諦めてしまわないためのトレーニングでもあるということです。

 

さらに、この世はチームプレーであると考えると、

他のチームメートがミスをして取り乱していたり、諦めそうになっているとき、

その場でチームメートの練習不足を指摘しても仕方ありませんよね。

そういうときには、チームメートのミスをカバーしてあげるしかありません。

 

同じように、自分がストレスから解放されることを目指すだけでなく、

他の人がストレスに悩んでいるときは、やさしく寄り添ってあげることも必要です。

 

なぜなら、それがチームとしてのパフォーマンスを向上させることであり、

この世から少しずつ「苦」を減らす道だからです。

 

 

「菩薩」という存在をヒントにしよう

 

なんだか大げさな話になってきたけど、

私はストレスを解消したいだけなので、

そんな道とかはお断りしたいんですが・・・

という率直な意見は、もちろんあるかと思います。

 

ですが、ストレスの要因の多くとして、

「他の人が困っているのが解るから、余計にストレスを感じる」ことが

あるのではないでしょうか?

 

たとえば、やむをえなく誰かをリストラしないといけない役目を負わされたり、

劣悪な職場に愛想を尽かしたけど、同僚を困らせてしまうから辞められない状況では、

涼しい顔でストレスフリーにリストラをしたり、

自分一人だけストレスを感じない「自由」を楽しんでいるとしたら、

なんだかおかしなことをしてしまっている気がしますよね。

 

ですから、他の人の悩んでいることや困っていることに寄り添い、

一緒に解決しようとすることも必要なことなのです。

 

もちろんそれは、

「リストラを任された自分も被害者で、悪いのは会社だ」という弁明をしたり、

「みんなで劣悪な職場に耐えていこう」と慰めあうことではありませんし、

「そんなことで悩むのはおかしい」と諭して回ることでもありません。

 

現状をひたすら冷静に分析して、より良い解決法を考え出していくと同時に、

他の人の感情にも耳を傾け、理解してあげることであると私は考えています。

 

以上のような、この世から少しずつ「苦」を減らす道の歩き方を考える際、

参考になるのが、「菩薩」という存在です。

 

菩薩というのは、お寺で見かけることも多い、

きらびやかな装飾品や宝具を身に着けた仏さまのことですが、

これは悟りを開く前の修行時代の仏陀を模したお姿です。

 

「菩薩」が悟りを開くと「如来」になり、

見た目も、装飾品を脱ぎ捨てた落ち着いたお姿になります。

 

つまり、「菩薩」とは、完全な悟りへ至る前の段階。

自分自身も苦しみから解放される修行をしながら、

人々をこの世の苦しみから救済しようとする存在のことで、

56億7千万年後のはるかな未来で悟りを開くとされている弥勒菩薩は、

まさにその象徴です。

 

すでに人を救うことのできる力を持っている弥勒菩薩でさえ、

56億7千万年も修行しないといけないんだなと思うと、

簡単に悟れなくても焦る必要ないかとゆっくり腰をすえられそうですし、

56億7千万年間もさらに向上しつづける余地があるという意味に捉えれば、

希望が持てることでもありますよね。

 

そんな菩薩に倣って、

ストレスに悩まされてしまう未熟さを悔やまず、

より心を「自由」にすることができるように、

いまの自分にできる範囲でよりよい解決を目指し続ければ、

少しずつ本当のストレスフリーに近づいていくことになり、

美と健康も向上し続けていくはずです。

 

キラキラと後光が差すような菩薩系美人を、

あなたも目指してみませんか?

 

 

さらに考えてみたくなった人のために

 

仏教って、お葬式で木魚叩くだけと思ってたけど、なんだか興味が湧いてきた、

なんて人がいるかいないかは解りませんが、56億7千万分の1を想定しつつ、

おすすめの本を紹介しておきます。

 

 

『考えない練習』小池龍之介著(小学館)

『考えない練習』小池龍之介著(小学館)

『考えない練習』小池龍之介著(小学館)

 

日々悩まされる「イライラ」や「不安」は、

思考が暴走し、コントロールできなくなることで、

より増幅され、さらに深くとらわれる連鎖が起きてしまいます。

 

それを解決するための、感覚を整理して思考と切り分け、

適切にコントロールしていくための実践的な練習法を、

日常生活に即した例で提示してくれています。

 

東大で西洋哲学を専攻したという、

変わった経歴の浄土真宗系現役住職による著作です。

脳研究者・池谷裕二氏との対談も収録しており、

仏教が編み出した、心のコントロール法を、

また違った角度から解説してくれている一冊です。

 

 

『いきなりはじめる浄土真宗』内田樹・釈徹宗著(本願寺出版社)


『いきなりはじめる浄土真宗』内田樹・釈徹宗著(本願寺出版社)

『いきなりはじめる浄土真宗』内田樹・釈徹宗著(本願寺出版社)

 

浄土真宗についての入門的な解説を期待すると、

肩透かしを食らってしまうかもしれませんが、

フランス哲学研究者であり評論家の内田樹氏が、

浄土真宗の住職である釈徹宗に向けて、

仏教についての素朴な疑問を投げかけながら、

社会問題などの幅広いトピックに引き寄せて

仏教から生まれた概念を解きほぐしていきます。

 

仏教について、また人が宗教性をもつということについて、

知的好奇心が刺激され続けてやまない一冊です。

続編となる、『はじめたばかりの浄土真宗』おすすめですよ。